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地域アートプロジェクトに必要なもの~「みずつち学校とことんとーく 2000年代→2010年代のアートプロジェクトとは?」というイベントに参加して~

 去年から今年にかけて、美術家の藤浩志さんの現場をお手伝いするようなかたちで、プロジェクトの内部からその存在を見るようになった、いわゆる「日本型」の「地域アートプロジェクト」。それらをより論理立てて考えるために聴衆として参加している様々な、地域アートプロジェクトについて考えるイベント。
tokotonn-omote-282x400.jpg今回、自分も少しだけ関わりを持った「水と土の芸術祭」というアートフェスティバルの中で行われた、「みずつち学校とことんとーく 2000年代→2010年代のアートプロジェクトとは?」というタイトルのイベント。2日間で計10時間に渡って行われたこのイベントに参加して思った、地域アートプロジェクトに必要なものを、このトークイベントのあり方から考えてみたいと思う。

正直、会場となる新潟市までわざわざ足を運び、計10時間も、個人的な時間を割いて参加したこのトークイベントから得られたものは少なかった。特に2日目の「アーティスト」や「プロジェクトディレクター」について話し合われた5時間は、そんな人々を傍目で見て、興味を持っている自分にとっても退屈で、「なぜ内輪だけでするような話をわざわざ公開のイベントにしているのだろう」と思ったぐらいだから、ほとんどアートや美術に興味のない聴衆がいたとしたら、それはそれは退屈だっただろうし、2日間でのべ50人程度の参加者しかいなかった理由もうなずけると思う。
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個人的に断言してしまえば失敗だったこのトークイベントの「失敗の要因」は、出演者が多すぎたことや、テーマ内で扱う内容の解釈が人それぞれすぎて、体験談や考えを共通の基盤で話せなかったという部分があったように思うのだけれども、最も大きな「失敗の要因」は、今回、モデレーターという、司会のような役割を担当した人の「場」に対する意識の低さにあったように思う。

特にそれを強く感じたのは、2日目のその人物が座り続けた座席の位置で、聴衆に背を向け、まるでそちらの反応は一切関係ないといった状態で話を進めていく姿には、「客席を交えながらゆるやかに」と事前にうたっていたこのイベントの趣旨や、地域アートプロジェクトという「場の特性」や地域の人々に向き合わざるをえないものについて話し合う状況にもそぐわなかったように思う。
a5cb43e016c570bede52f0ca21fd8bd1.jpg話の内容から判断すると、今年開催された西洋の美術圏で最も影響力を持つアートプロジェクトの一つである「ドクメンタ」のようなものを称賛していたその人物にとっては、「日本型」の地域アートプロジェクトのような、地域の特性や、そこに住む人々と嫌が応でも向き合わなければならない傾向が強い表現の場には、「アーティストのクリエーティビティーが発揮できているのか」という問題を孕んでおり、「アート本来の趣旨ではない町おこし的なものが、地域アートプロジェクトとして日本中で行われていることがいいことなのか」という疑問があるのかもしれない。

しかし、そういった個人的な疑問や懐疑のようなものを中心にして話を進めていくことは、これまで地域アートプロジェクトの負の側面について話し合う機会が少なかったという点はあるにしても、あまりにもテーマ設定として話の内容を限定してしまい、専門的な人間しか話し合いに参加できない、蛸壺的で閉じた内容になってしまったように思う。
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その閉じた感じは、本来2日間も行えば、自発的に発言が生み出されていくだろう出演者の間からでさえ、司会者に促されなければ自発的な発言をする人が少なかった状況にも表れているようにも思うし、計10時間行うはずだった論議が、質疑応答も含め、それ以上に意見を言う人がおらず、最後は30分前倒しで終了してしまったことにも表れているように思う。

また本来、「参加者」であるはずの聴衆に、「視線攻撃」というものを送ることでやっと一つだけ質問を得ることができた2日目最後の質疑応答のあり方や、その表現にも、それまでの4時間半、聴衆に背を向け、司会進行を行っていた人らしさが現われていたように思う。

決して個人攻撃をしたい訳ではないのだけれど、全国各地で様々なアートプロジェクトに関わってきた豪華なメンバーが集ったイベントと期待し、話の中には、「芸術の公共性」や地域のアートプロジェクトに税金を投入する意味についても論議されただけに、もう少し、市民や聴衆に対して開いた場の設定が「みずつち学校」というもののあり方として必要だったのではないだろうか。

たぶん、3.11という「水と土」が人々に様々な災害をもたらし、福島だけでなく隣接県の新潟、さらには東北や関東を中心とした各地に、人間の人生という物差しでは回復の見込みのない傷跡を残してしまったこの国の「転換期」までの10年、少子高齢化やコミュニティー内の孤立といった問題に向き合ってきた「日本型地域アートプロジェクト」には、様々な疑問や懐疑を含みながらも、それでも新たな価値観を提示できる何かが含まれているように思える。

そして、そんな可能性が生み出される「場」に必要なものがあるとしたら、既存の価値観や、個人の意見というものにとらわれない開いた態度と、地域の特性や、そこに住む人々の声に耳を傾けながら、自分の中のものと、それらのものを融合させ面白がっていくような、柔軟で前向きな発想や姿勢のような気がする。
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阿部和璧

Author:阿部和璧
現代アートを中心とした美術関係について書くライターをやっています。2011年8月より東京に拠点を移し、現在は都内の地域アートプロジェクトのリサーチの仕事などをさせていただいてます。世の中にある凄いもの、面白いものに興味があり、そんなものたちについてみなさんと話し合ってみたいと思います。
連絡先はメールabekaheki@gmail.com
またはお問合せtwitterまで。

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