文化ブログ
阿部和璧(あべかへき)が世の中の良いもの、凄いものを紹介する。
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「ギャラリストの視点」~京芸卒展をみたNamさん(0000)のつぶやきと実際の展示を観て~

正直、辛辣な言葉で批判されていた割には、「京芸」の作品展には面白いものが多かった。1階入ってすぐの展示室、最奥にあった彫刻・院2回生、中村潤さんの『たくさんのひとつ おおきなひとつ』という立体作品は、トイレットペーパーという素材を使いながら、それが作家の力量によって存在感のある造形物として成立していた。また2階、日本画の展示では是永麻貴さん(院2回生)が青木繁の『海の幸』をワニに置き換えたような『鰐』というタイトルの作品を出展。ワニの身体が持つ独特の質感を墨や膠(にかわ)を使って表現しており、爬虫類の残忍な目の表現なども優れていた。
この他にも西山寛さん(彫刻・4回生)の木材と茶碗なとを組み合わせた塔のような造形物『悪戯』。長尾菜摘さん(陶磁器・院2回生)の『ウェルカム トゥ パーフェクト プレミアム』という陶器と祇園祭りの山鉾を一体化させたような祭り感溢れる作品。陶磁器の李相浩さん(院2回生)、任瑛彬さん(院1回生)の作品など得体の知れない造形物の中に、作家の内面のうごめきを感じさせるものがあって面白かった。今挙げた作品だけでなく、それぞれの展示室にはぽつぽつとではあるけれど、確実に自分の制作欲求と向き合い格闘したと思わせる作品があり、そんな作品たちが持つ清々(すがすが)しさが感じられた。

しかし、Namさんが批判した「裸のモデル2人」の展示室や、1枚の板から動物立体を作るという課題展示がされていた場所のテンションは低かった。冒頭にも述べたように、多くの来場者が「卒展」だと思い込んでいる作品展に、2回生の課題が突然出てくる会場構成には違和感があった。京芸生のツイートを読むと、卒業生だけでは作品点数が少ないこともあり、在校生全体の作品展になっているという事だが、気合を入れた卒業制作もあった展示室のすぐ横に、2年生の「伝統」とされる課題が続く展示室があれば、事情を知らない人にとっては同じ「卒展」の作品に見えてしまい、会場全体のテンションが下がってしまったように思う。
「日頃の教育、研鑽の成果を紹介する展示」という意図は理解できなくもないし、学内で「裸のモデル2人」や「板の動物立体」という同一テーマやモチーフを使い、その枠内で基礎や発想力を養う「課題」の意図も分かるのだが、それを公共の美術館で展示されても、鑑賞者だけでなく、学生本人にも、大学自身にとってもメリットは少ないのではないか。一概にメリットのみで物事を評価することが良くないこととは分かるのだが、このチェニジアやエジプトの「革命」に象徴される激動の時代に、「伝統」的な「課題」という枠内に留まった「表現」を見せられても、何か時代感覚のズレのようなものを感じずにはいられなかった。

実は、Namさんの言っているその他のこと(絵画展示のほとんどが壁に設置されたレールを使った展示であることや、椅子に座った学生スタッフがピンクのカラータイツを履いていたことをはじめとしたスタッフの服装や態度)も含めた全ては、今これまでの価値観が大きく揺らいでいる中で、アーティストも作品のみで自分を表現するのではなく、その枠組みや周辺、さらには空間全体に高い意識を持つ必要をがあると理解すれば受け入れ易いかもしれない。与えられた「課題」や展示空間といったこれまでの枠組みに安易に従うのではなく、目の前の作品から一歩引いて、制作者と鑑賞者の中間にいる「ギャラリストの視点」も必要ではないかという問題提議だと考えると納得できる。
そういう意味では、決して作品だけに向き合うことを否定する訳ではないが、多様な価値観や視点がより重要になる現代のアーティストには、社会や世界の知識、アートマーケットや展示といった様々なことについて学ぶことが極めて重要だし、芸術系大学ではそのような「技術」を高度に学べる機会を提供すべきではないのか。Namさんが辛辣に批判した問題を突き詰めれば、今ある現状に疑問を持たず、与えられた枠内で可能性や機会を逃していくような「アーティスト」としての姿勢や、それについて何も教えない美大教育のあり方に苛立ちがあるのだと思う。

昨年末、「19歳で海外デビューする」というアーティストとしての「野望」を果たした経緯や、在籍していた美大を辞め、上海に移り住んだ中で見えてきた現実について真摯な言葉でつぶやいたNamさん。そのトゥギャッターにまとめられたつぶやきには、アーティストとして中国の現実に真っ向からぶつかり、そこで跳ね返され、挫折の中から立ち上がり、0000を結成するまでの経緯が綴られていた。現実の厳しさ身をもって知り、一人の力では「日本のアートシーンを作る事」はできないと確信したがゆえに、「どうにかさ知恵絞ってさ皆でさ、協力しあってさ、やるしかないだろう」と呼びかける思いが、今回のつぶやきの根底にあることは知っておいた方が良いと思う。
トゥギャッター 京芸卒展をみたNamさん#kcua2010ex
Nam HyoJun(ナム ヒョジュン)さんのtwitter
途中から異様に熱い過去の話になるNamHyoJunさんのトゥギャッター
0000 Galleryのウェブサイト
0000artsのtwitter
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